旅するデニム 〜尾道からドイツへ〜

By 2015年1月21日NEWS

「旅するデニム」とは?

国内外問わずデニムを穿く事で体験を共有し、時間をかけて本当に良い物の価値を実感していき、みんながデニムを育てることや人とのご縁を愉しんでいく…ONOMICHI DENIM PROJECTの旅するデニム企画を、いよいよ今月からスタートします。

「国内外を舞台に、尾道デニムの意思を受け継いだ方達によって1本のデニムに別の新たな物語を刻み込む。そして、唯一無二のデニムを創り上げていく。デニムを穿く方と共にデニムが巡っていく国の文化、そこに住む人々の価値観をシェアしていこう」という企画です。

旅するデニムの主人公

尾道の方たちから始まった尾道デニムは、海外で働く日本人の方や日本に住む外国の方、世界一周をする旅人だったりと様々な方に受け継いでいきます。穿いていく方が、そのデニムを彩る主人公。

尾道デニムの旅のスタイル

人が違えば、日々起こる事も違う。旅のスタイルも物語も様々。
・例えば、尾道デニムが旅の相棒になり、各国をまわったり…
・例えば、旅先で出会った人にデニムがバトンタッチされ、また別の人によって物語がデニムに刻まれていったり…

尾道デニムはどんなところでも冒険へ行きます。“尾道デニム”のキーワードから、旅先での出逢い…尾道の人との交流が広がっていったり。尾道と世界の人をつなぐデニムを創っていく中で、尾道デニムのベースともなる“町”や“人”と創っていく物語を、みんなで愉しんでいければと思います。

旅するデニムについて→http://www.onomichidenim.com/archives/1522

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PART1.海を越えてドイツへ

“旅するデニム”の記事を書いた際に、「移住デニムが欲しいなぁ」とドイツに住む方からコメントをいただいたのがきっかけ。それが、下記に詳しく書きますが“堀江伸吾さん(ほりえしんご)”です。“移住デニム”とは何か質問をしたところ、「ドイツでは街中の8割くらいの人がデニム履いてるんですよ。仕事もデニムで行って上着だけジャケットとか、ジャケットも無いってのが普通で、スーツなんてよっぽどじゃないと着てないんですね。そんな環境だから、デニムってすごい消耗品でありながらお洒落着でも仕事着でもあるんですよね。そんな環境へ移住した人へのデニム。ちょっと洒落てて、でも消耗品だしめったに日本に行けないから耐久性があって・・・だから移住デニム。なんてね。僕はこの1年未満で一本すっかり使い古しちゃいました。笑。そんなわがままな考えです。」とのこと。

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それを受け、ドイツで頑張る堀江さんに尾道デニムの後を継いでいただくことを決めました。お預けしたデニムは、Lot.173の尾道の役場関係の方のデニム。サイズもピッタリ。ここからガシガシ、ドイツの空気を刻んでいただき、その変化も現地の様子も共有していきたいと思います。
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堀江さんとの出逢い

そもそも、堀江さんと出会ったきっかけとなった出来事。2013年1月、トラベルカルチャー誌“TRANSIT”の方たちと、“TRANSIT via せとうち(http://www.dlsetouchi.com/files/TRANSIT_VIA_SETOUCHI.pdf)”という冊子を創らせていただく撮影の際に、写真家さんを御連れし、尾道水道を船で走った時がありました。その時に、“尾道の方が愛する”尾道水道の撮影スポットをご案内いただいたのが中田善方さん(海技学院の講師であり、当プロジェクトの参加者)でした。

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その尊敬する写真家さんと堀江さんは登山をする等親しい仲だったそうで、写真家さんと中田さんの会話の中で、堀江さんは海技学院の卒業生であり、中田さんの教え子ということが判明。身近な人と“尾道”の繋がりが、パズルのように組み合わさっていった瞬間でもありました。

恩師から教え子へ

教え子であった堀江さんとの思い出を聞いてみました。「彼はリアル海猿OBなんですよ。本校でダイビングの勉強してから卒業し、自力で保安部に合格してから、志願してオレンジ制服を何年か着ていたんです。学校とすれば、保安部を辞めることは非常にもったいない事なんですが…でも、自分に素直に生きることは、今の世の中では貴重な事ですから、海猿にも代えがたいものなんでしょうね。」と、中田さん。中田さんも尾道デニムを穿いて、尾道で応援していますよ。

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堀江伸吾さん × 尾道デニム

「自転車で毎日登った千光寺までの坂道。向島、夜の歌桟橋での呑み会。商店街入り口の100円ソフトクリーム。朱華園の真向かいのサッポロラーメン屋。淡い憧れを抱いてたピアス屋のおねえさん。寮を抜け出して食べに行ったお好み焼き屋。もう人生の半分も前の事なのに、鮮やかに思い出せる日々。間違いなく青春だった二年間。友達じゃなくて仲間と出会った街。愛してやまない街、尾道。そんな尾道でがんばってる方から「尾道デニム」が届きました。きっかけは尊敬する写真家と編集者の二人による尾道訪問から繋がった御縁。時をかけて、また尾道と繋がる事ができました。本当に嬉しい。途中、税関で止められたりもしたけれど、届いた「尾道デニム」しっかり履き込んで「移住デニム」として育てていきたいと思います。いろんな場所にいっしょに旅もするぞー!

今度帰国したら、尾道の迷路みたいな小径をプラプラ歩いたり、お好み焼きのぐち、で食べたいな。クリケットランチもいいなあ。そういえば千光寺公園のソフトクリーム屋さんはもうないのかなあ。」

尾道デニムを穿いた堀江さんからのお話を愉しみにしています。そして、尾道にご帰国される日は、尾道のみんなでデニムを穿いてお待ちしております。ドイツ×尾道を繋ぐ尾道デニム。今後もお愉しみに。

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▼堀江伸吾さん:プロフィール
三重県奥伊勢出身。16歳の時に父に誘われたスキューバーダイビングにハマり、学業そっちのけでダイビングためのバイトに励む。高校3年になる前から尾道海技学院を知り、ダイビングインストラクターになる夢を抱き高校卒業。尾道で海技学院に入学。この頃からバイク、ヒッチハイクで各地を旅する様になる。同級生と向島の寮で生活し、2年後卒業。卒業後、ダイビングインストラクターとして就職。初めての給料で寝袋とテント購入。山口県、鹿児島トカラ列島、沖縄本島を転々と仕事をする。22歳の時「このままでいいのか?」と自問自答。ダイビングの能力を活かしつつ人助けをしたい。という思いから、海上保安庁に入庁。入庁後、潜水士、特殊救難隊として救助活動に専従しつつ、休暇では海外一人旅を続ける。3.11発生後、組織ではなく自分自身の力で人の役に立ちたいと考えていたところ、ドイツ旅で出会った知人がドイツ移住を勧める。悩んだ末、2014年1月渡独。現在、ドイツ政府の運営するBFD(ボランティア活動組織)に所属し、宿泊研修施設にて就労。ドイツ語を勉強しつつ、自分探し中。
趣味:登山、革カバン作り / 好きな言葉:かぜの音は、じぶんが歩き出しても聞こえてくるんだ。

 

▼ドイツでの職業

ドイツ政府の運営するBFD(Bundes Freibilligen Dienst:ドイツボランティア活動)という組織に所属。宿泊施設を有する研修所に派遣中。最大1年半の雇用期間があり、滞在許可と健康保険、月約400ユーロの給料。仕事内容は部屋や庭の掃除(雪かきや芝刈り、畑仕事も…)調理、ベットメイク、接客etc。肉体労働にヒーヒー言いながら就労中。次年度から日本人が10人しかなっていないドイツの医療士になるために、大学進学のためドイツ語勉強中。

 

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SHINGO HORIE

SHINGO HORIE

三重県奥伊勢出身。10代でスキューバーダイビングにハマり、ダイビングインストラクターになるため、尾道で海技学院に入学。卒業後、ダイビングインストラクターとして就職。山口県、鹿児島トカラ列島、沖縄本島を転々と仕事をする。その後、ダイビングの能力を活かしつつ人助けるため、海上保安庁に入庁。入庁後、潜水士、特殊救難隊として救助活動に専従しつつ、休暇では海外一人旅を続ける。3.11発生後、組織ではなく自分自身の力で人の役に立ちたいと考えていたところ、ドイツ旅で出会った知人がドイツ移住を勧める。悩んだ末、2014年1月渡独。現在、ドイツ語を勉強しつつ、自分探し中。
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